* インド(ニューデリー&オールドデリー)

 海外個展の会場捜しは私の役目だが、実際は海外在住の知人や、海外日本人学校の先生にほとんど依頼していた。
 2002年アルゼンチンの日本大使館、広報文化センターでの展示あたりから、妻自身が直接、会場使用の可否を各国の
 日本大使館広報文化センターや国際交流基金に尋ねるようになった。初めは手紙で行っていたが、メールでの交信は
 大変便利である。センターの窓口係り員は現地採用の人が多い。当然英語でのやり取りである。
 作品の制作を放り出して、先ずは会場確保の交渉は、時間的にも大変のようだった。

 公共機関のホールは広い。妻一人の展示物だけでは壁面が埋まらない。今回も娘の同意をとりつけて、二人展の運びと
 なった。初日前日、準備中にきれいにアレンジされた花が二基届いた。ムンバイ日本人学校に勤務されているS先生から
 だった。夜分お宅に tel すると、「そちらへ伺う為に、今空港に向かっています」。二度目のサプライズに、
 我々三人呆気にとられたり、感激したり。

 展示中、市内を観光した。サイクルリクシャでオールドデリーへ(写真)。インド最大の規模を誇る、ジャマー・
 マスジット(写真)。1857年のセポイの乱の時、反乱軍が白装束に身をかためここに集結して、市内を制圧した
 イギリス軍に対し最後の突撃を試み、ここの石段を死体で埋めたとガイドブックにあった。石畳の広い境内を裸足で
 歩き回った。

 私は映画好きである。ハリウッド映画が好きで英語教師になった、というのも過言ではない。「シェーン」
 「ウエストサイド物語」は何回も観た。中でも「ガンジー」が好きで、「ガンジー」の最初の場面は脳裏に焼きついている。
 ガンジーが暗殺された殉教の地を訪れることができたとは!天にも昇る興奮を抑え切れなかった!
 マハートマー・ガーンデイー記念博物館は、実際に彼の使った家屋を残し、庭には足跡が白い石膏で続いている。
 凶弾に倒れた場所には記念碑があった(写真2枚)。


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