写真 オーストラリアの旅(2018年8月9日〜19日)

   次女の高一の息子がメルボルンで2−3泊、ホームステイをすることになった。長女の息子の
  大学生も同行すると言う。彼は中三でタスマニア、高二でメルボルンに3ヶ月のホームステイ、
  昨年はドイツ、フランス、イギリスを廻ってきた。
   次女が25−6年前にホームステイした家の、息子の家に、今度は自分の息子が
  お世話になる。彼女もなつかしいので行くと言う。我々も久しぶりのオーストラリア、
  急に行くことにした。総勢5人のにぎやかな旅である。
  (写真はメルボルンシテイの顔、フリンダース ストリート駅)
  

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   着いて2日目、青空も見える午後。街のメインストリートを駅まで歩き、反対側の
  フェデレーションスクエアの前から、ダブルデッカーに乗った。要所要所乗降自由だが、
  とにかく一回り。そろそろ出発点かなと思う頃、急にどしゃ降り。渋滞も始まって、距離的には
  駅にも近いのだろう。人々は降りたが、我々は傘もないのでそのまま30分ほど車内にいた。
  雨の後はぐっと冷えて、暗がりの中、脚も震え歯の根も合わずガチガチさせて、駅まで歩いた。
  そこからタクシーで帰ったが、別行動の娘と大学生の孫は、駅のすぐ向こうを流れるヤラ川で、
  船からシテイ見物をしたが、いきなり大粒の雹(ヒョウ)で、慌てて船室に駆け込んだと話した。
   高一の孫のホームステイ最終日、今は亡きカール氏の息子ベンとその妻クリスから、
  孫を送りながら、我々もみんな一緒に、ドライブしてはどうかと連絡があった。
  気温11度のメルボルンだが、快諾した。
   メルボルン東部の郊外ヤラバレー。周囲は葡萄畑で、ワイナリーが点在する。ヒールズビル
  サンクチュアリという広大な自然動物園。水中を泳ぐカモノハシ,鷲など猛禽類を飛ばせてみせている。
  コアラ、ワラビー、タスマニアンデビルが手の届く所にいる。帰途、またお宅に寄って、お茶をいただいた。(写真)
     



 
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   総勢5人、寒いメルボルンから、ノーザンテリトリー最北部のダーウィンへ。気温32度と
  日本並みで、陽射しは強いが、木陰はからっと涼しい。あれ程、日本では暑さに苦しんだのに、
  メルボルンを経由すると、ここは避寒地。ホッとした。観光客もそれほど多くない。ゆったり
  のんびり滞在できそうだ。
   若者はすぐツアーを申し込み、朝早く出かけて行った。リッチフィールド国立公園や、キャサリン渓谷へ。
  我々はここでも市内巡りのダブルデッカー。第二次世界大戦時の1942年、日本軍の空爆を受けたこと、
  1974年猛サイクロンで、壊滅的被害を受けたこと、車内放送が流れ、ちょっと居心地悪かった。
  2日目の夕、早く帰って来た孫も一緒に、チモール海に沈む夕陽を見ようと、波止場のレストランに
  落ち着いた。
  

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   夕陽はもっと右方に落ちて、見えなかった。夕映えがいつまでも美しかった。
  さすがにここは海の幸が盛りだくさん。
  しかし残念ながら、私は今回、出発直前に歯を痛め、痛み止めや抗生物質、それにかゆやおじや、
  柔らかい煮物のパックを大量持参の旅となったのだ。
   孫たちは前日レストランで、クロコダイルやカンガルーのステーキを食べたのだそうだ。
  クロコダイルのどの部分だろうかなど、しきりに話していた。クロコダイル ジャーキーや
  カンガルー ジャーキーがあるから、歯が治ったら食べてみたらと勧められた。そうか、
  お土産はそれにしようか?
  




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   我々と娘はかってここに来て、あの岩山にも登った。今はエアーズロックリゾートと呼ばれ、
  リゾート内にホテルが5−6軒。どこも満杯だった。登山ツアーもキャンプツアーも、孫達は
  期待したが、空きなし。仕方なくアウトバック パイオニアの、ホテルではなく、ロッジに1泊。
  当初ここで2泊の予定だったが、どうもロッジではと気乗りせず、変更してアリススプリングスで
  1泊し、早朝5時半のバスで、6時間かけて、ここにやって来た。
  我々は sunset tour のみ。他は早起きして、sunrise tour にも行く。
   大平原の Uluru (Ayers Rock)を再び見るのは、感無量だ。
  今はツアー会社がそれぞれテーブルを設け、ドリンク類をサービスする。
  ワインを片手に岩山を、ただただ眺める。夕陽の岩山は威厳に満ち、日没と共に、寂寥感が
  増してくる。
  

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   大平原の岩山、山頂の360度の眺望は、確かに多くの人々を魅了して止まない。ワンサと
  押しかける観光客は、岩山を聖地と崇めるアボリジニには困惑そのもの。来年から登山廃止と
  なるそうだ。それもあってか、今年の観光客は例年にも増して、多いらしい。
   ロッジは男女別。妻と娘は夜遅くまで外にいて、南十字星を見ていたらしい。
  私はというと、明け方、離れたトイレに行くのに転び、その時は大したこともないと
  思っていたが、続く飛行機の遅れ(エアーズロックの空港で7時間)と、帰国の10時間の
  フライトに、すっかり足腰を痛め、帰国後1週間というもの、その痛みに呻吟した。
   旅なれた大学生が、空港カウンターの機械処理などさっさとやってくれたし、
  若者二人が荷物運びの一切をやって、我々は至極気楽な旅の筈だったのだが。
                    (オーストラリア紀行より)