12月6日(火) タクシーに車椅子を積み込み、王宮へ。
車とバイクの渋滞で、走っているよりも止まっている方が
多かった。今日は王宮はクローズ。周辺は弔問客で大混雑で、
車を停めることができない。警官、軍人の警備で異様な雰囲気だ。
行きかう人々は礼服、喪服姿で、中高生の一団は胸に国王の写真を
抱いていた。マハーラート通りを500mくらい妻が車椅子を
押したが、誰も誰も気軽に手を貸してくれた。弔問客にご馳走を
ふるまって道端で料理を配ったり、お休み所では行列ができ、
人々は神妙な面持ちで飲食していた。
王宮の裏手の寺院、ワット ポーに入った。
1788年、ラーマ1世によって建立された寺院でタイ最初の大学
(医学=タイ式マッサージの総本山)として、また巨大な金色の寝仏(長さ46m、高さ15m)のある寺として知られている。
妻は寝仏を見に行き、私は仏塔群を眺めて時間を過ごした。全ての仏塔は細かい陶片で装飾され、誠に美しい。(後略)
12月7日(水) 11時に電話が鳴り申し込んでおいたツアーの
車が来た。ガイド、ドライバー共に黒のスーツ、黒のネクタイ。
タイでは全国民が国王の逝去に喪に伏している。街の塀はどこも
白黒の布が張り巡らされ、諸所に巨大な写真と祭壇があった。
バンコクから北へ約80キロ、チャオプラヤー川とその支流に囲ま
れた中州にアユタヤーの街はある。1351年から417年間に、
35代の王がこの地でアユタヤー王国を築いた。が、1767年
ビルマ軍の手によりアユタヤーは陥落。建造物の多くは徹底的に
破壊された。アユタヤーの遺跡群は、顔の無い仏像、途中から崩れ
落ちている仏塔、土台だけが残された寺院などである。−ガイドの説明
先ずアユタヤーの世界遺産の寺院、ワット マハータートの廃墟に
行った。広大な敷地の中で、人々はあちこちでカメラを構えていた。
どこを撮っても廃墟は物悲しさを秘めている。
車椅子を置いて、ガイドが腕をとって、破壊を免れた仏頭が木の根に取り込まれてしまった所へ案内してくれた。
無念と言おうか、無情と言おうか、神秘的な表情に、人々はしきりにシャッターを切っていた。
バンコクからチェンマイに飛んだ。
チェンマイは空港もこじんまりとして、周りに山並みも見え、
静かで落ち着いた地方都市といった感じだ。(中略)
12月9日(金) 朝食をゆっくり済ませて、市内を廻ることにした。
ツクツクに乗ってビン川に架かる橋を渡り、川を左に見て走り、再び
橋を渡ってターベー門から旧市街に入った。散策にはもってこいの、
のどかな街並みだ。ビン川はそれほどきれいではなかったが、旧市街を
ぐるりと囲んでいる掘割は諸所噴水などあって、子供も遊んでいる、
きれいな流れだった。
チェンマイで最も長い歴史を持つ寺院、ワット チェン マンを見学した。
1296年、メンラーイ王がラーンナー タイ王国を興し、チェンマイに
都をつくった際に建てた寺院で、かっては宮殿でもあった。
1800年前に作られた水晶の仏像と、更に昔にインドかスリランカで
作られたと言われる大理石の仏像が納められているそうだが、中には入らず、本堂の裏にある、基部を15頭の象にかこまれた
方形の仏塔を見に行った。思わず写真撮影…(後略)
12月10日(土) 朝食後、今日は自分一人の行動となった。
ホテルからツクツクに乗って、盲目のマッサージ師のお店に向かった。
1時間ほど店内で待った。
1時間150バーツ、1時間半230バーツ、2時間300バーツ。
2時間コース(約1000円)をお願いした。
今まで各国、各地でマッサージを受けたが、ここが一番であった。
終了後、またツクツクに乗って、チェンマイで最も格式の高い寺院、
ワット プラ シンへ行った。1345年、プラ ヨー王が父親カム
フー王の墓として仏塔を建てたことから始まった。(中略)
日本の縁日のような店が出ていた。一通り見学して、写真を撮り、
ホテルへ戻った。ツクツクの交通費総額は300バーツ(約1000円)。
妻はプールサイドのデッキチェアで横になっていた。
11月初め帯状疱疹を発症し、激痛の末、もう大丈夫だろうとこのタイ
旅行に臨んだ。バンコクでは辛うじて行動できたが、ここへきてまた痛み出し、なるべく身体に負担をかけないようにしていた。
(タイ旅行記より)