1991〜 2014年に19回の海外展示を行う。
現在は国内の展覧会を中心に金文作品を発表している。
1989年に留学した北京中央美術学院では、金文を専門とする指導は
行われていなかった。そこで授業の合間に、知人の紹介で古代文字の
第一人者、康 殷先生のお宅に伺って、直接指導をお願いすることになった。
先ず初め、先生を前にして何か書くように指示された。
私は大ウ鼎の出だしを書いた。次に先生が筆をとられた。
これまで日本では、にじみ、かすれ、緩急など変化が重視されていた。
「気」については日本も中国も大事で、日本では一気呵成、気迫、気を吐くなど、
気の抜き方も大事だった。先生は動きを止めたような筆法で、「気」をこめて、
最後まで洩らさない。まさに重厚そのもの、ウーン、金文に適った線!?以来この筆法を会得することに、ひたすら努めた。
が、とても一朝一夕にできることではない。
6月の天安門事件など なかったかのように、静かで落ち着いた北京の秋だった。が、風邪がなおらず、12月に帰国することに決め、
最後の挨拶に伺った。先生は目を真っ赤にされていて、弟さんの病状が思わしくなく、前夜は一睡もしていなかった由、苦しそうな
表情を後に、早々にお別れした。手紙のやりとりはあったが、お会いすることはなく、先生は2000年に亡くなられた。
私は未だに先生の線質を求めて試行錯誤している。「もうそろそろ会得しても良さそうだが」と、先生はあきれていらっしゃるに違いない。