昭和61年(1985)の2月、教員採用1年目の私は両国中学校での、
長先生の「雪の日の授業」を見にゆきました。
玄関を入ると研究部の係りの人達が「お急ぎ下さい! まもなく授業が
始まります。」と 急がしていました。
おそらく今や授業初めの定番となった BINGO のお披露目の意味があった
のだと思います。
私は授業が始まって、瞬時に英語の世界に引きずり込まれていく生徒の
姿が信じられませんでした。
そして、研究会終了後、恐れ多くも研究部の懇親会に参加した私は、
当時の両国中のK校長先生(国語科)が「この盛り上がり、英語の先生が
羨ましい!」と、ご挨拶されていたのをはっきり覚えています。
それから4,5年間、学校の雑務や部活指導に埋もれ、研究会もたまに区中研に行く
ぐらいになっていた私は、自分で自分のする授業が陳腐でつまらなくなり、同じ区内にいらしたY先生に区中研の席で相談
しました。すると、「今度、両国中の長先生が授業研究会を開くから行ってみたら」とアドバイスをくれました。
9月のことだと思います。
流石に初回は敷居が高く、行けなかったのですが、10月の第2回目から参加しました。
初めて長先生にご挨拶すると、「ああ、Y先生から聞いてますよ。」という気さくな応対を大変有り難く思ったものです。
第3回目からは懇親会にも参加させてもらい、研究会と同じくらいその場でも勉強させてもらいました。
区立両国中の研究会には、S先生と1、2位を争う出席率で参加しました。そしてそこでは様々なことを学びました。
「Warming up」という会では、多数の有名な先生方の最初の5分のビデオを見ました。他にも「ペアワーク」、「Skit」
「Dictation」などなど・・・。
他の学会や研究会に所属していなかった私は、両国中の英語授業研究会が心の支えとなっていました。校務で3時の研究会に
行けない時は、懇親会から参加したこともあります。私にとって、とてもとてもありがたい英語授業研究会でした。