2007年 ロシアの旅 1 

  2007年9月3日~9月10日
  Narita→Moscow→St Petersburg→Moscow→Narita

      9月3日 (月)
   猛暑の東京から秋冷のモスクワへ。ロシア連邦の首都モスクワは2度目。前回は1985年だったが、空港から
  市内まで白樺並木で、ロシアに来た実感があった。今回は道が違ったのか、環境が変わったのか、白樺は一本も
  なかった。個人旅行の場合、空港ホテル間の送迎車は予約支払いしなければならない。往復4万円、異常な高値だ。
  ホテルは自分で選んだが、1泊7万円の超高級ホテル、Swissotel Krasnye Holmy。3泊する。ロシア美術に触れたい
  という長女が同行した。

写真     写真

    9月4日 (火)
   今日も秋晴れ。出発に先立ちホテル近くのシティバンクでお金を下ろす。周りが不審者に見えてくる。地下鉄駅
  パヴェレツカヤが最寄り駅である。徒歩5分。地下鉄で先ずは赤の広場へ。
  国立歴史博物館の横のヴァスクレセンスキー門を入ると広大な石畳み。遥か彼方にポクロフスキー聖堂、左手は
  グム百貨店が伸び、右手のレンガ色の壁の連なりがクレムリン。

写真     写真

   ポクロフスキー聖堂まで広場を歩いた。9つの玉ねぎのようなドームや派手な外観がひときわ目立つ。モンゴルとの
  戦勝を記念してイワン4世(イワン雷帝、在位1533~1584)により、1560年に創建された。現在はは国立歴史博物館の
  分館となってフレスコ画や祭壇のイコノスタス(聖障)が見ものだとか。

   クレムリンとは「要塞」のこと。一辺がモスクワ川に面した、大三角形の敷地に宮殿や大聖堂群、武器庫、兵器庫、
  ダイヤモンド庫、そしてロシア連邦大統領府に大統領官邸、巨大な鐘や大砲まで収まっている。

写真

  イワン大帝の鐘楼
  イワン4世の頃、モスクワにはこれ以上高い建物はなかった。
  誰もこれより高い建築物を建てる権利がなかった。
  ナポレオンがモスクワ敗退の際、鐘楼の爆破を命じたが、18個の
  鐘は残った。


写真

  ウスペンスキー大聖堂
  クレムリンの中心に立つ大聖堂で、かってはロシア帝国の
  国教大聖堂とされた。大聖堂の壁と屋根はイコンとフレスコ画
  で飾られている。


写真

  大砲の皇帝
  1586年に鋳造された。口径89cm、重さ40トン。
  一度も発砲されたことはなく、弾丸は飾りで19世紀の建造。
  1トンの重さがある。


写真

  鐘の皇帝
  1730年代に造られた。高さ6m、重さ200トンの世界最大の
  鐘。鋳造中に火災が発生して、水をかけたため、ひびが入り
  一部が欠け落ちてしまった。勿論鳴らされたことはない。